――“意味の場”を再起動する行為
【祈りと供養は、信じるための言葉ではない】
OIAは宗教画ではない。
だが宗教を否定しない。逆に、勧誘もしない。
それでもなお、「祈り」や「供養」という言葉を使う。しかも、徹底して強い意味づけを与え続ける。これが誤解を招きやすいことは、よく理解している。
なぜ祈りと供養なのか。
もっとニュートラルな言葉や概念ではダメだったのか?
それは、これらが「信じるための言葉」「教義を伝えるための言葉」ではなく、「日常の中に当たり前にあるもの」「世代を超えて行われてきた行為」として、今もなお人々の身体の中に残されているからだ。
あらゆる言葉が疑われ、あらゆる物語が消費され、すべてにおいて説明可能であることを求められる現代社会においても、祈りや供養は静かに繰り返され続けている。
なぜそれをするのかという理由が語られなくなっても、効能が否定されても、それでも人は手を合わせ、場を整え、名を呼び、沈黙する。
OIAは、この事実から目を逸らさない。
【科学と呪術は対立していない】
私は、祈りや供養の実践が科学と対立するものだとは考えていない。
「目に見えざる存在」は、現代科学において否定も肯定もされていない。ただ、対象化できないために、問いの外に置かれているだけだ。
私は霊的な存在を見たり感じたりできない。だからこそ、目に見えざるものについて断定しない。宗教を否定もしないし、勧誘もしないのは、この立場からくる。
また、世界を「説明可能な範囲」で扱おうとする態度とは、私も同じ地平を共有している。違うのは、未知に対する姿勢だけだ。
私は老子の陰陽を、存在証明ではなく世界の捉え方として受け取っている。目に見える世界(陽)がある以上、目に見えない側(陰)もまた、世界のうちに含まれているはずだ――少なくとも私は、そういう道理の上に立っている。
だから私は、実在を証明しようとはしない。その代わりに、祈りと供養を「操作ではなく非操作の実践」として保ち、関係を断たないための態度を整え続ける。
科学的思考を「目に見えざる存在」そのものに向けるのではなく、祈りや供養という行為が人間の内面や関係性に及ぼす変化に向けたとき、そこにはまだ十分に問われていない領域が残っていると思う。
これらを扱うのに、超自然的な存在を仮定する必要はない。十分に科学的考察の射程に入りうる。
呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないだろうか?
そうなれば、呪術の儀礼や信仰はそのまま、やがて生まれ来たるべき科学に対する信頼の表現ということになるであろう。
レヴィ=ストロースは『野生の思考』において、人間の思考は近代的な合理性によって進化したのではなく、異なる構造をもつ思考が並存しているのだと述べた。神話や儀礼は、未開で曖昧なものではなく、世界を把握するための高度に構造化された知の形式である。
原始的な科学と近代以降の科学との違いは、感覚的直観に近い道と、それから離れた道の二つの経路があるというだけにすぎない。旧石器時代後期以降、人類の脳は現代人と同じ構造であり、新石器革命と現代科学は、科学的伝統の継承者という意味で同じ立場である。
【第一科学としてのブリコラージュ】
原始的科学というより、「第一」科学と名づけたいこの種の知識が思考の面でどのようなものであったかを、工作の面でかなりよく理解させてくれる活動形態が、現在のわれわれにも残っている。それはフランス語でふつう「ブリコラージュ」bricolage(器用仕事)と呼ばれる仕事である
彼が提示した「ブリコラージュ」とは、手元にある素材――神話、儀礼、象徴――を用いて世界を理解するための操作だった。
それは説明のための再配置であり、分析のための知である。
ここに、OIAとの共通点と決定的な相違点がある。
何よりも彼は学者であり、私はアーティスト(創作者・実践者)である。
OIAもまた、神話、宗教、民俗、文人文化といった既存の形式を用いる。だが、それらを世界を理解するために再配置するのではない。
理解のための再配置ではなく、引き受けるための再配置である。ここが決定的に異なる。
OIAにおけるブリコラージュとは、既存の象徴・形式・所作を用いて、世界に対して「操作しない態度」を構成する行為である。
OIAで言う「操作しない」とは、次の三つを守ることである。
- 未来を操作しない
- 結果を要求しない
- 願望をマントラ化しない
【OIAのブリコラージュ:非操作の態度】
呪術的思考の実践(ここでは祈りや供養の実践)とは何かを考えてみる。
何のためにするのか。なぜ人類の歴史において現代まで続いてきているのか。
例えば、ご利益を目的にして祈りや供養を始めた人は、ほとんどの場合、継続せずにやめてしまう。効果を期待する心は欲深くなりがちで、たとえ何らかの恩恵があったとしても、それに気づけない。
また、亡くなった身内を供養する人が、その死に対して受け入れられない気持ちが強い場合、「なぜ死んだのか?」「こんなつらさには耐えられない」「なぜ私がこんな目に?」と、延々と答えの出ない問いを繰り返してしまうことがある。
個人の信仰態度を評価するのは避けるが、効果を期待する心では気づきが起こりにくく、いつしか供養や祈りをやめてしまうように思う。
私は、祈りや供養は目に見えざるものへの「思いやり」だと思っている。ここで私が言う「思いやり」とは、情緒ではなく、想像力を持続させるための姿勢である。
前回の記事でウィリアム・ブレイクを取り上げたが、彼の幻視する力は故人への思いやりから発していると感じる。だからこそ彼は生活が破綻することもなく、精神が安定したままで幻視し続け、そのビジョンとイマジネーションを作品にすることができたのではないかと思っている。
私に霊的な存在を見る力はまったくないが、それは普通のことであり、「見える力」を求めるようになれば、それは自我の肥大につながり、老子や釈尊の境地からは遠ざかるばかりだろう。
私の祈りや供養の実践は、「思いやり」を形に表すことである。
私は、祈りや供養によって世界がより良く変わっていく可能性を否定していない。
だが同時に、祈りや供養に対して効果を期待すべきではないとも考えている。効果を目的にした瞬間、人は道を誤る。
効果を目的にすると、行為は手段になる。手段は、成果によって価値が測られる。
成果が測られると、比較と競争が生まれ、欲望が入り込む。祈りは技法に堕ち、供養は投資になる。
利己的な効能(ご利益)をうたって人々のエゴや欲望を喚起するような祈りや供養、また逆に、地に足のつかない理想世界の実現を祈るあり方も、エゴの肥大を招きかねない。スピリチュアルな世界には、こういった落とし穴があることを認識しておくべきである。
これは信仰の問題ではない。
人間の持つ性(さが)であり、個人的な資質というよりも、構造上の問題である。
だからこそ、OIAは祈りや供養を、それが語られず、見えず、応答しないとしても、なお関係を保つための「言葉」と「想い」と「意味の場」を静かに用意し続ける実践として位置づける。

【異界と日常が隣り合っていた風景】
OIAが抽象的な理論ではなく、具体的な実践として立ち上がった理由は、私自身の身体感覚と無関係ではない。少し、生まれ育った土地について振り返ってみたい。
私の故郷は東北の港町で、私が子どものころはそれなりに栄えた町だった。工場地帯もあり、にぎやかな商店街もあり、小さいながら映画館もあった。一方で自然にも恵まれた土地であった。
自然が豊かというのは、人間の利便性が必ずしも優先されない土地である。
例えば、切り立った岸壁が多く人が入り込めないような海岸、一般の人が立ち入ることのない山中の湖、人が住む場所、気軽に行ける自然、一般人が立ち入れない場所がくっきりと分かれていた。
立ち入れないとはいっても、林業で使う道をたどって山の奥に入っていくことはできたし、地元の関係者の案内で水源の湖を見ることも可能だった。
小学生のころ、町内会のハイキングで大人に連れられて林道を分け入り、山の奥に入った時のことが深く心に刻まれている。きれいな湧き水、案内がなければ絶対に迷うであろう道。この方向から入って、なぜまったく反対側の出口につながるのか不思議だった。
修験道の霊場でもあり、昔は山伏が山中を駆け巡っていたのだろう。
また、「なまはげ」という来訪神習俗があり、これも異界と日常をつなぐ民俗行事であった。恐ろしい鬼(とはいっても神でもある)に山に連れていかれてしまうというのは、子どもにはとても恐ろしく、泣き叫びながら逃げた思い出がある。
山は異界に通じる場所であり、資格のない者がみだりに入るべきでない場所だと心に刻まれた。結界が張られた土地柄であったともいえる。
私の実家は森の境界にあった。家のすぐそばにきれいな水の小川があり、沼地もあり、昆虫はたくさんいた。とんぼ、やご、かまきり、げんごろうなど、日常的に昆虫に触れて遊んでいた。
裏山は、向こうにすぐ町がある山ではなかった。夜、窓からのぞくその山は、子どもには怖いと感じられた。
特に印象に残っている出来事は、赤とんぼが空一面を覆いつくす(というよりも空間を埋めつくす)ように飛んでいたことで、幻想的な光景は、ある意味で人間の思い通りにはいかない野生の姿を感じさせるものであった。
ごく最近まで、日本の田舎には文明的な生活と野生が近い状態が共存していた。この幼少期の経験が、私のOIAについての考えの基層となっている。
【野生の思考と日本文化】
レヴィ=ストロースは、69歳のときに日本を来訪し、能登の輪島、金沢、富山の五箇山、飛騨、伊勢、京都、奈良、隠岐などを旅してまわり、各地で陶工、漆芸家、刀鍛冶、木地師、金細工師、絵師、宮大工、杜氏、板前、和菓子職人、織物師、染織家などの職人たち、また文楽の人形遣い、邦楽の奏者などに会っている。日本文化の核心に触れるために職人の世界を選んで研究した。
労働を「罰」と捉える西洋の見方とは違う日本の労働観、ポイエーシス的な労働概念が日本の職人(手を動かし何かを生み出している人間)の中に生きていると見て取ってのことだろう。
彼は、神話を十分に分析しており、野生の思考も理論化し、西洋近代の限界も見えていた。その上で、思考がどのように行為として持続しているかを確かめに日本に来た。
柳宗悦の民藝とポイエーシスの関係、自然の中に隠れている本来の姿を取り出すという考え方に通じるものがあったのだと思われる。
そして、日本の職人の中に
「野生の思考が壊れずに残った姿」を見た。
OIAは、レヴィ=ストロースが見出した野生の思考を引き受け、その思考が祈りと供養という行為にまで静かに接続している地点を、アートとして現代において実践していくものである。
【祈りは、意識されない方がよい】
OIAにおける供献と奉祈は、目に見えざる存在に対して何かを起こさせようとする行為ではない。
供養とは、昔(40〜50年前まで)の日本人にとって日常の当たり前の行為であった。そのため、無理なく感謝の心を、自分が知る先祖(親や祖父母、オジやオバ)、そしてその先に連なる先祖たちに向けることができただろう。
しかし、祈りについてはどうだろう。往々にして自分の利益を祈りがちで、昔からご利益信仰はよくあった。逆に、近代以降に現れた「世界人類の幸福を祈る」というような、地に足のつかない理想に飛躍することもあった。
大きな理想を祈るのは良い。だが、そもそも自分の身の回りの家族に感謝し、その幸福を祈れる自分であるのか。
それができていないなら、砂上の楼閣に過ぎないだろう。結局、世界も家族の集合である以上、それぞれの家庭が幸福であらねば世界平和も訪れない。
自我が肥大しやすい環境に住むわれわれ現代人が、日常において利己的でない祈りを淡々と置けるようになるには、むしろ祈りは意識されない方がよいと思っている。
祈りを意識せず、感謝や思いやりを周囲の人に向けられるようになる心の在り方が重要だろう。
祈りとは、
自分がすでに関係の中にある他者の幸福を、
行為として引き受け続けるための姿勢である。
祈りを利己的な自己実現の手段にもしない。
空疎な理想主義にも逃がさない。
そのためには、祈りを瞑想やマントラにせず、祈りが歪まずに滲み出るための身体的な実践が必要である。
伝統文化と現代人の生活の両方に接続したアートは、そのための数少ない有効な媒介となり得ると思っている。
OIAが再起動しようとしているのは、信仰ではない。
答えでもない。
人が世界と向き合うために、かつて自然に持っていた「意味の場」である。
2026年1月28日 禮白
